【第3回インタビュー/藤田一也内野手(近畿大)】        取材・構成・写真/島尻譲

大きく羽ばたく大学球界屈指の名遊撃手
ドラフト直前インタビュー

Kazuya Fujita #7

藤田一也は2年生の春に
名門・近畿大の正遊撃手に抜擢された。

軽やかなフットワーク、
広い守備範囲、
柔らかなグラブさばき、
正確なスローイングの遊撃守備。
その堅実かつ華麗なプレーに誰もがウットリしたものである。

そして、シーズンを重ねる毎に
課題と言われていた打撃も着実にレベルアップ。
ミートが巧く、足も速い。
3年春、4年春には首位打者を獲得した力量は本物である。

この藤田という野球選手を
“センスがある”の一言で片付けてはいけない。
それは野球に対して、
実に“骨太な姿勢”でぶつかっていることを
この3年間で教えて貰ったからだ。

※インタビュー/04年11月4日(近畿大学硬式野球部開明寮)

決まるまでドキドキですよ
でも、こういう心境になれることはありがたい


−運命のドラフト会議を控えている訳やけど。

藤田 そうですねぇ、当日にならないと分からないんで(苦笑)。ホンマに決まるまでドキドキですよ。意中の球団やったら良いんですけど。

−プロ野球の球界再編なんかもあったけど。

藤田 やっぱり、不安でしたよ。これから飛び込もうとしている世界のこと。要は就職先と考えていたところの大問題な訳ですからね。

−で、当事者に聴くのもおかしいんやけど、今のドラフト制度をどう思う?

藤田 確かに自由獲得枠の力がある選手にとっては球団が選べて良いかも知れないですけど…完全ウェーバーにすべきやと思いますよ。結局はプロ野球という世界で仕事をすることに変わりはないんですから。あと、自由獲得枠は野手より投手の方が有利かなとは思いますね。

−確かに各球団、投手を決めてからというのはあるもんねぇ。

藤田 まぁ、一般的には野手の方が選手寿命も長いですからね。プロに入ってから、頑張れば良いんですよ。ただ、早くドラフトは終わって欲しいですね。何かスッキリするような(笑)。でも、こういう心境になれることはありがたい。一生に1回だけですもんね。

−それに誰もが体験出来ることちゃうし。

藤田 幸せですね。だけど、それで満足したらダメ。「プロに入ったら、親や指導者の方への恩返しになるね」と言って下さる方もいるんですけど、僕はやっぱり試合に出て、活躍してこそ恩返しやと思うんです。

※関西5リーグ対抗戦(関西学生代表)

−なるほど。

藤田 だから、まずは140試合レギュラーを張れる力を付けたいです。体のスタミナも、心のスタミナも。

−どういうプロ野球選手になりたいんかな?

藤田 守備では宮本さん(慎也内野手、スワローズ)。大学の先輩になるので「二岡さん(智宏内野手、ジャイアンツ)やろう!」とよく言われるんですけど、タイプが明らかに違いますんで(苦笑)。打撃ではイチローさん(外野手、マリナーズ)ですね。あと、僕はこの体(175a・71`)なんでね。でも、大きくなくても持ち味があればプロ野球選手になれるんだということを証明したい。憧れて貰えるような選手になりたいですね。

−アピールポイントは?

藤田 初めは守備ですね。打撃は徐々に対応して行けるように(笑)。実際にプロのスピードやキレを体験しないと分からないですからね。その点も宮本さんのように成長したいですね。

コイツらには負けない
“背番号7”の伝統と誇り


−では、次は大学野球生活を振り返って貰おうかなぁ。

藤田 大学に入った時は…周りはTVで観たことがあったり(甲子園出場者)、雑誌に載っていた人間ばかり。とりあえず、4年間は野球を続けて、試合に出ること出来ればなぁと思っていたんですけど。でも、負けず嫌いなので、コイツらに負けないという気持ちが強くなって。じゃあ、何で目立とうかとなったら、自信のある守備やなと。で、幸運なことに1年の春からベンチには入れて貰って。まぁ、春も秋も試合には出れずにズーッとバット引きでしたけど(笑)。ただ、ホンマによく練習しましたよ。

−そして、2年の春からレギュラーに。

藤田 シーズン前のOP戦でもスタメンで3試合くらいしか出ていなかったし、試合前日のスタメン発表でも米田さん(甚也内野手、当時の主将)やったんですよ。でも、試合直前に米田さんがサードで、僕がショートと言われて。驚きましたね(笑)。で、1シーズン、使って貰って、守る方は問題ないと余裕が持てるようになりましたね。打率は.220くらいやったんですけど(苦笑)。

ーその打撃も徐々に進歩して行った。

藤田 スピード、変化球のキレ、球種の多さにフォームを改造しないとアカンなと。足を思いっ切り上げていたのを摺り足気味に。スタンスも少し狭めましたね。そして、ミートを心掛ける。あと、足も活かしたかったのでセーフティーバントの練習もよくするように。まぁ、高校時代も通算本塁打は10本くらいやったんで、長打に対するこだわりはなかったですから。典型的なヒットの延長がホームランという考え方ですよ。長打は他のメンバーに任せておこうと。

−その成果もすぐに出たし、3年春と4年春には首位打者を獲得。

藤田 そうですね。2年秋に.390(打撃成績3位)。首位打者は運も良かったんですけどね(笑)。ただ、最後の秋は通算100安打に届かなかったし、乗り切れなかった。あとはチームとして春、秋と優勝を逃したのが悔しい。先輩たちと神宮球場へ行ったのも嬉しかったですけど、自分らの代で行かないと。個人的に神宮球場は相性が良かった(2試合で5打数4安打)ですからね。

−ところで、話しは変わるけど、“背番号7”は2年生の時からやんね?

藤田 はい、1年生の頃は32番でした。

−近畿大の“背番号7”って、重みがある番号なんやけど。

藤田 最近では二岡さん、栄作さん(廣瀬外野手、トヨタ自動車)ですからね。だから、誰も付けなかったんですよ。

−やっぱり、重圧になるんかな?

藤田 で、大西さん(宏明外野手、※バファローズ)が「誰か7番、付けろや!」って。それやったら、僕が7番で勝負したろうかなぁと。それで、監督さん(榎本保)に「“背番号7”を付けさせて戴きます」と挨拶へ行ったんです。そうしたら「おぉ、頑張れよ」と。これは下手なプレーは出来ないなとそれまで以上に真剣に野球に取り組むようになりましたね。

−栄光の“背番号7”に恥じんようにと。

藤田 そんな伝統と誇りみたいのはありますね。今、嬉しいのは後輩たちが「あの“背番号7”は誰が付けるんや?」と話し合っているみたいなんですよね。何か“背番号7”の責任を果たせたなという嬉しさはあります。今後もそういう良き伝統は受け継いで行って欲しいですね。

野球選手・藤田の礎を築いた
少年時代の壁当て


−以前、幼い頃は壁当てばかりしていたという話しを聴いたけど。

藤田 友達がおらんかった訳じゃないですよ(笑)。ただ、朝、起きてから学校へ行くまで。父が小さな照明を付けてくれたので、夜もバコーン、バコーンとやっていましたね。自分の中で色々とシュミレーションしながら、楽しかったですねぇ。近所の人はうるさくて迷惑やったみたいですけど(苦笑)。

−僕も壁当てはよくやっていたなぁ。

藤田 僕は壁当てでグラブさばきとかフットワークとかスローイングを身に付けたと思っています。スゴイ良い練習やったと。最近は壁当てしている子供とかを見ないから少し寂しいですね。あと、僕が小学生の頃は自転車のカゴに必ずグローブとバットが入っていたんですけどね。

−住宅事情とかもあるんやろうけどね。確かに最近、そういう光景は見いへんよね。ところで、その壁当てをしていた場所は今でもあるのかな?

藤田 父がネットを張って、鉄板を斜めに置いて、鳥カゴみたいにしてくれていたんですよね。鉄板を斜めに置いてあるので、自分で投げたボールがノーバウンドで返って来て、ティーバッティングみたいのも出来たんですよ。でも、今はネットを取っちゃっているんですよね。


−う〜ん、それは残念。その伝説の鳥カゴを見たかったわぁ。そうそう、お父さんも野球をやっていたんかな?

藤田 いや、父は陸上をやっていたんですけど、ホンマに野球が大好きで。だから、結構、小さい頃は家族旅行とかで東京ドームとか連れて行ってくれたんですよ。そういうのがあったから野球に興味を持つようになったのかも知れないですね。僕は姉がいるんですけど、父は男の子が欲しかったみたいで。姉が生まれた時、もう一也という名前は用意してあったみたいです(笑)。

−その待望の長男がもうじきプロ野球選手かぁ。

藤田 頑張りたいですね(笑)。

プロでの活躍に期待
榎本監督も太鼓判


藤田が下級生の頃から。
近畿大の榎本監督は僕の顔を見る度に
「藤田は良いですよ。是非、取り上げて下さい。タイプは違うけど、二岡のようになりますよ。真面目によう練習もする子ですし」
と大プッシュ。
また、
「技術的なのは勿論ですけど、体力的にも伸びて来ています」
と大学入学後からの成長を訴えていた。

そして、今、藤田はプロへの扉を開こうとしている。
その先は険しいものとも思われるが、
持ち前の根気と粘り強さで乗り越えて行くに違いない。

「藤田は目が良いんですよ。絶対にプロでも対応出来ますよ」
榎本監督の言う“目が良い”とは恐らく、動態視力のことだろう。
今さら言及することではないが、一流選手は動体視力が良い。
藤田のプロでの活躍に期待したい。

《藤田一也(ふじた・かずや)プロフィール》

1982年7月3日生=22歳 175a・71`
右投左打 血液型/O 出身地/徳島県
里浦小(里浦スターズ/軟式)−鳴門第二中(軟式)
−鳴門第一高−近畿大

小学、中学時代は遊撃手兼投手。
高校入学後から遊撃手に専念。
甲子園出場こそなかったが、
その高い守備力を買われて名門・近畿大に入学。
2年春より名手と呼ばれた主将を三塁手に追いやって
正遊撃手の座を掴んだ。
2年秋〜4年春まで4季連続でベストナイン受賞。
3年春、4年春には首位打者を獲得した。
俊足も魅力で盗塁、セーフティーバントなども巧み。
遠投は110bで助走付き(3歩)の球速は153`と地肩も強い。
打守走の三拍子揃った好選手である。

少年時代、憧れた野球選手は川相昌弘内野手(ドラゴンズ)。

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