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【独占インタビュー/片岡安祐美内野手】 取材・構成・写真/島尻譲
大学へ行って これまで通りに野球を続けたい
〜夢ある限り 努力は無限
1986年11月14日生=17歳 153a・50`
右投右打 血液型/B 出身地/熊本県
画図小(軟式)−出水南中(軟式)−熊本商高(硬式)
男子部員が集まる中で小学生時は1番サード。
中学生時は2番セカンドでレギュラー選手。
高校でも高野連の規則(女子は公式戦に出れない)を知りながらも
硬式野球部の門を叩く。
2年4ヶ月。女子でありながら他の男子部員と同じ練習をこなす。
1度も女子だからという特別扱いを受けることがなかった。
そう、出場することの出来ない“甲子園”を目指して
仲間たちと汗と泥にまみれて来たのだ。
それと同時に女子硬式野球の日本代表にも3年連続で選出される。
03年の第3回女子野球世界大会(オーストラリア)では
大会初となる本塁打(ランニング本塁打)を放つなど大活躍。
「元気なのは勿論、野球を知っている選手。これからも中心選手」
と日本代表を率いる広瀬哲朗監督の信頼も厚い。
04年の6月。
大学選手権大会(神宮)の取材の最中。
ひょんなことから初めて女子野球たるものを観る機会に恵まれた。
そして、何の予備知識もない中で目に留まる選手がいた。
小柄ではあるが、とにかく元気でよく声が通る。
いや、ただガムシャラなだけの選手ではない。
意味のある声が出せ、肝心なプレーも基本に忠実なのだ。
それを観て、素直に『ええ選手やなぁ』と思ったのである。
それから約1ヶ月後の7月19日。
強く印象に残ったその選手から話しを聴くことが出来た。
背筋をピンと伸ばして、ハキハキとした快活な口調で応える姿は
野球というスポーツで培って来た全てが表れているようで
こちらも非常に晴々とした気持ちになったものである。
だが、その取材の翌日、ショッキングな現実が“彼女”を襲う。
それでも、片岡安祐美はいつもと変わらぬ。
いや、いつも以上に懸命な姿勢で白球を追い掛けていた―。
Ayumi Kataoka #4
甲子園に憧れて
野球ってこんなに楽しかったんだぁ
―いつも元気だよねぇ。ホンマにええ声出すし。
片岡 それが私の取り柄ですから。そうじゃなかったら、こんなところ(日本代表)にいませんよ(笑)。
―いやいや。打撃も守備も基本に忠実やし。
片岡 この体(153a)ですからね。大きいことをしようと思っても限界がありますから。だからです。
―それでは、野球との出合いから教えて下さい。
片岡 小学校3年生の冬ですね。元々は水泳をやっていたんですけれども、父の早起き野球や会社のソフトボールの試合にもくっついて行っていました。アスレチックとかもあったので妹(2学年下)とよく遊んでいたんですよ。あと、家でも甲子園(高校野球)やプロ野球が1日中テレビで流れていたんです。
―男兄弟はいないやんね?
片岡 いませんね。父が好きだったんです。野球バカなんで(笑)。で、私も最初は「どっちが勝った!」とかだったんですけれども、そのうちにカッコイイなぁと。甲子園に憧れて、あそこでプレーしたいなと思うようになったんです。
―それで野球を始めた訳なんやね。
片岡 私は覚えていないんですけれども。母が言うには…父が試合で大きい(長打)のを打ったらしいんです。そして、ダイヤモンドを走る父に「走れーっ!回れーっ!」って大声を掛けたみたいで。その時くらいから野球に興味を持つようになったんでしょうね。父に「野球をやれ」とか「やってみないか」とは言われなかったです。自分の意思で始めました。
―お母さんはだいぶ反対されたみたいやけど。
片岡 大反対でしたよぉ(笑)。女の子なのに突き指して指が太くなったり、顔にボールが当たることなんかを心配していたみたいです。あと、友達関係も心配してくれました。でも、その後も最終的には野球を続けることを応援してくれているんですよね。
―その優しさに感謝やね。で、試合に初めて出たのはいつなんかな?
片岡 小学校のチームに入ってから、約1年間は野球を覚えるようにズーッとスコアを付けていたんです。マネージャーみたいな感じですね。そして、練習試合で急に「打ってみるか?」と言われたので「打たせてくれるなら打ちます」って(笑)。「じゃあ、打って来い」と代打で出して貰って、いきなりライト前にヒットを打ったんですよぉ。
―へぇー、華々しいデビューやったんやね(笑)。
片岡 それから男の子の中に入っても負けないと以前にも増して思えるようになって。根が負けず嫌いですしね(笑)。1番打者でサードのレギュラーになりました。
―それは凄いや。まぁ、自信もあったから中学でも野球を続けることになったんや。
片岡 いやいや、それは本当に迷いましたよ。体力のこともあるし、何しろ学校の方針で男子だけの野球部に受け入れて貰えるかどうかも分からなかったですし。マネージャーじゃなくて選手としてですからね。それこそ父や母、小学校の野球部の監督がお願いに行ってくれたくらいですから。でも、私は半ば諦めていたんですよね。女の子だから友達関係とかも色々あったし…。そう、父が「グローブを買いに行くぞ」とスポーツ店に連れて行ってくれたんですけど、私は「もう野球辞める」と泣くばかり。父は辞めることには反対していなかったんですけれども「なぜ、泣くんだ」って。
―好きな野球を辞めるのになんで泣くんだ?っていうことやったんやろうね。
片岡 父と私は…父が仕事の休みの日は朝7時から校庭で練習していたんです。“女の子投げ”や“女の子走り”を直すのが目的だったし、父からは「どうせ野球をやるならレギュラーを獲れ」とも言われていたので。でも、父も泣く私を見て「もう練習に来なくてていい」と突き放したんですよ。で、私はそういう意識はなかったんですけれども、凄いイライラしていたみたいなんですよね。そうしたら母が「行って来なさいよ」と背中を押してくれて。
―うんうん。
片岡 で、父と普通に練習をしていたら「野球ってこんなに楽しかったんだぁ」と思ったんです。
―なるほどねぇ。
片岡 家に帰ると母が「あなたイキイキしているわね。野球しかないのよ」と言ってくれたんです。そして、次の日には私から父に「グローブ買いに行こう」って。野球を続けることになったんです。あんなに野球をすることに反対していた母が最後はいつも応援してくれるんですよ(笑)。
鳥肌が立ちましたね
ズーッと甲子園にいたんですよ
―中学校でもレギュラーやったんかな?
片岡 そうですね。最初はサードをやっていたんですけどセカンドにコンバートされて。色々な細かい動きを覚えることが出来て良かった。サインプレーも多い学校でしたし。打順は2番でしたね。
―ホンマに凄いわ。そりゃ、さらに野球が面白くなる訳だ。
片岡 中学校3年生の夏休みに。父が卒業旅行で甲子園へ連れて行ってくれたんです。
―憧れの甲子園観戦だ。
片岡 スタンドに入ったら歓声が凄くて。「あぁ、ここが甲子園なんだ」って鳥肌が立ちましたね。で、1泊2日だったんですけれども、ズーッと甲子園にいたんですよ。もう本当に楽しくて、楽しくて(笑)。
―えっ、ズーッと?
片岡 はい。甲子園とホテルだけです。
―中学生の女の子やからUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)とか行きたくなかった?
片岡 父もそういう予定を立ててくれていたみたいなんですけど「こっちの方が楽しい」って(笑)。
―筋金入りやね(笑)。
片岡 感動しっ放しでした(笑)。
―せやけど、高校で野球を続けるのも迷ったんちゃう?
片岡 迷いましたね。まずは受け入れてくれるかですから(苦笑)。あと、最初は高野連の規定(女子は公式戦に出場出来ない)を知らなかったんですけど…父に「女の子は試合に出れないんだ」と教えて貰って、納得出来なかったですし。そんな時に「硬式女子野球の日本代表のセレクションがあるよ」と調べてくれたので受けたんです。で、最初は緊張していて初日はなんとか通過だったんです。そこで「大好きな野球がもう1日出来るんだから私らしい元気な野球をしよう!」と。そうしたら合格しちゃったんですよぉ(笑)。
―いやいや、合格しちゃったではなかったと思うよ。力があったからやわ。
片岡 それで硬式女子野球部のある高校への進学も考えたんですけど…これまでも男の中で野球をやって来たし、甲子園にも行きたいっていう想いがやっぱり強くて。
―もしかしたら高野連の規定も変わるかも知れへんと。
片岡 そうですね(笑)。自宅から近い熊本商高の監督さんが父の後輩だったこともあって、受け入れて貰えそうな感じにもなりましたしね。
―甲子園に行きたい。男子にも負けへんと。
片岡 はい。カッコイイことを言う訳じゃないですけど。私がきっかけになればとも思い、高校球児になることを決めました。
3年間で認めて貰いたかった
でも、素晴らしい仲間と甲子園を目指せる喜びを知った
―高校球児の生活はどう?
片岡 楽ではないですけれども(苦笑)。本当に楽しいですよ。
―ただ、やっぱり公式戦には出れない。
片岡 そうなんですよね。頭ごなしに「女子だからダメ」みたいな…。
―そこは理解したいけど、女子の高校球児にしか分からない部分やもんね。
片岡 正直、3年間で認めて貰いたかった。そういう気持ちはありますけど、そこは「私自身の力がないから試合(公式戦)には出れないんだ」って割り切るようにしました。
―高野連の規定は変わらなかった…。
片岡 そういう意味では悔しい部分があります。でも、素晴らしい仲間と甲子園を目指せる喜びを知った。これは私の宝物です。今、私は世界大会を戦っていますけれど熊本商高の部員みんなが「お前は金メダルを獲って来い」って言ってくれますし。
―そうかぁ、今は県予選の真っ最中なんやね。
片岡 そうなんです。だから「アユミは必ず金メダル獲って帰るから、それまで負けるんじゃねえよ」って言ってあるんです。「分かった。絶対に負けないでおく。一緒に甲子園を目指そう!」という約束なんですよ。
―じゃあ、世界大会で優勝して、その後は甲子園を目指すんだ。この夏は忙しいねぇ(笑)。
片岡 そうですよぉ。ちゃんと甲子園にも応援に来て下さいね(笑)。
―約束します(笑)。で、その後はどうされますか?
片岡 大学へ行って、これまで通りに野球を続けたいですね。大学ならば女子でも公式戦に出れますから。
―そうだよねぇ。これまでにも前例があるし。
片岡 ただ、小中高がそうだったように。まずは受け入れてくれるかどうかというところからスタートになるんですよね。でも、くじけないで頑張りますよ。
―志望校とかはあるんかな?
片岡 あります。だけど、試験にも受からないといけないですから(苦笑)。
―大学を卒業したら?
片岡 本当はプロ野球選手になりたいです(笑)。でも、さすがにこれは無理かも知れないです。だから、指導者とか―。
―指導者とか?
片岡 恥ずかしいですけど…スポーツキャスターとかにもなりたいですね。
―アスリート、野球をプレーして来た経験が活かせそうだねぇ。ハキハキした喋りやし。
片岡 そうですよねぇ(笑)。本当になりたいんですよ。
―これ、書いてもええんかな?
片岡 いいですよ。地元でも書かれたことありますし(笑)。
―では、どこか片岡さんをスカウトしてくれたらええなぁという願いを込めて書かせて貰いますね(笑)。
片岡 はい、お願いします(笑)。
―最後に野球への意気込みを。
片岡 とにかく、この世界大会で2連覇。金メダルを持って帰るという約束を部員のみんなと(熊本商高)してるんで。そして、甲子園!大学でも野球を続けます!夢ある限り努力は無限ということを忘れずに!!
野球の神様から与えられた試練と褒美
このインタビューの翌日…片岡は厳しい現実に直面した。
シード校であった熊本商高は文徳高にサヨナラ負けを喫してしまったのだ。まさに一発勝負の恐さ。
「金メダルを獲って帰るから」
「一緒に甲子園を目指そう!」
という約束が果たせなかっただけではない。
同じ目標に向かって、苦楽を共にした仲間と…日本代表のメンバーとして世界大会を戦っているが為に高校野球生活の最後を共有することが出来なかった。そして何よりも片岡はやっぱり“女の子”なのだ。常人には到底、推し量れない想い、苦労、葛藤などを抱えながら高校球児として頑張って来たのだ。人知れず流した涙の数は想像することが出来ない―。
片岡の父親(片岡安徳)から伝え聴いた話しではあるが。片岡は熊本商高敗戦の報を受け、宿舎の部屋で1人閉じこもり、号泣し続けたという。それは今まで流した涙の何百倍、何千倍、何万倍も辛いものであったに違いない。
それでも、片岡は試合前のミーティング時にはいつもの笑顔を見せていた。そして、スタメン出場となった試合(×香港)では、いつも以上にグラウンドで大声を出し、打撃でも守備でも持ち味を発揮した。ダイヤモンドも全力で駆け抜ける。ベンチでも常に味方へ檄と指示を飛ばした。その甲斐あって試合にも大勝。
試合後、決勝トーナメント進出で歓喜に湧くメンバーたちの横で。片岡は帽子で顔を覆いながら、嗚咽をあげながら泣き崩れていた。
「まだまだということです。野球の神様がアユミに試練を与えているんです。もっと頑張らなきゃいけないんです」
翌日の準決勝戦(×オーストラリア)、決勝戦(×アメリカ)。片岡は2試合ともベンチスタートであったが、要所で起用されてはキッチリと期待に応える。心掛けているセンター返しでタイムリー安打も放つ。
ネット裏の上原伸一(ライター)も思わず一言。
「野球の神様はちゃんと見ているよ」
決勝戦が終わった後、片岡は首にキラキラと眩しく輝いた金メダルをぶら下げていた。野球の神様はちゃんと褒美も用意してくれていたのだ。
これからも野球の神様は片岡に幾度となく試練を与えるだろう。が、片岡の野球に対する想いがある限り、それ以上の褒美を掴むことも出来る。いつまでも夢を追い、誰よりも幸せな野球人生を送って欲しい。片岡のプレー目の当たりにすると、そう思わずにはいられない。
《片岡安祐美(かたおか・あゆみ) プロフィール》