【第4回インタビュー/光原逸裕投手(JR東海→オリックス・バファローズ)】  
                                                取材・構成・写真/島尻譲

即戦力の期待に必ず応える
野球を楽しんでいるところを観て貰いたい

Atsuhiro Mitsuhara #18 

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《光原逸裕(みつはら・あつひろ)プロフィール》

1980年10月11日生=24歳 184a・86`
右投右打 血液型/O 出身地/兵庫県
和田岬小(和田岬キャッツ/軟式)−吉田中(神戸ドラゴンズ/硬式)
−報徳学園高−京都産業大−JR東海−オリックス・バファローズ

小1より野球を始める。
中学までは投手、三塁手、遊撃手などを務める。
高校進学後、投手に専念。
甲子園出場も果たすが、当時は2番手投手であった。
大学時代に才能が開花。
社会人野球を経て、
04年秋のドラフトでオリックス・バファローズより2巡目指名を受ける。
背番号は45番に決定。
大型本格派右腕で即戦力としての期待が大きい。
ストレートはアベレージで140`台中盤も実測以上の威力を感じる。
内外角に丁寧に投げ分けることが出来、変化球の完成度も高い。

個人的に京都産業大時代から大好きな投手だった。
関西六大学リーグで
杉山直久投手(龍谷大→タイガース)、
植大輔投手(龍谷大→ドラゴンズ→JR西日本)らとの
投げ合いでも負けていなかった。
丁寧で、冷静で、粘り強くて。
そして、何よりも勝てる投手であったのが魅力。
だが、02年のドラフト会議で光原逸裕の名前は呼ばれず。

そして、2年の歳月が流れた。
社会人野球・JR東海を経て、光原は逞しく成長した。
技術的にも、体力的にも、精神的にも。

05年、即戦力の期待を受け、光原は念願のプロのマウンドに立つ!


※インタビュー/04年12月30日 京都市内のホテルにて

恩返しをしたい、見返したいという気持ち
何をやるべきなのか分かった2年間


−遅ればせながらやけど、プロ入り、ホンマにおめでとう!

光原 ありがとうございます。

−ドラフト当日、朝から何度かメールでやり取りしていたけれども、指名を受けてから打った“おめでとうメール”への返信がメッチャ早くてビックリしたよ。記者会見とかあったんちゃう。

光原 ありましたけど、2巡目じゃなくて4巡目やと思っていたんで。それなので、部署でプラプラしていたんですよね(笑)。で、上司の方から「2巡目で指名されたぞ」と教えて貰ったところで。記者会見は段取り的に4巡目という流れだったので余裕があったんです。

−そうやったんやぁ。ところで、2年前のドラフトの時のことは覚えている?

光原 覚えていますよ。ある球団のスカウトの方から「指名するかも知れない」と言われていたんですけど、チームの最終会議の結果で見送ると。でも、もしかしたら他の球団から指名があるかも知れないというかすかな希望を持っていました。インターネット中継を観ながら、待っていましたね。そして、自分の中で「ここより下で指名されても」というところで…山へ走りに行きました。本当はグラウンドで練習したかったんですけど、みんなも気を遣うんじゃないかなとも思ったんで。

−そうやったんや。

光原 まぁ、これが自分の野球人生だとは思いましたけど、本当に悔しかった。だからこそ、親や指導者の方に。また、自分のことを評価してくれたスカウトの方が間違っていなかったと言われるように頑張ろう、恩返しをしたいと。そして、自分を評価してくれなかったスカウトの方や指名しなかったチームを見返したいという気持ちでした。

−そういう想いで飛び込んだ社会人野球で何を学びましたか?

光原 これまでの学生野球とチームメートの雰囲気も違うので戸惑うところもありましたけど、良い仲間と野球が出来ました。それは特にドラフト後に感じましたね。あと、頭では分かっていたことなんですけど、学生の頃とは違い、仕事で野球をやる。自分で給料を貰って、生活する難しさとお金の有難味を痛感。それで、自分が今、何をやるべきなのか分かった2年間でしたね。今度、プロに入って、これまでよりも給料は良くなりますけど、無駄なことは出来ないですね。

−なるほど。で、実際に即戦力の期待を受けてオリックスに入るんやけど。

光原 まぁ、吸収合併とかもあって。適切な言い方ではないかも知れないんですけど、自分にとっては良いチームに入れたと。

−それはチャンスがあると。

光原 それもありますね。スカウトの方からも「恥ずかしいけど、チャンスのあるチームだから」とも言われていますし。あと、勝つ為には自分の力だけでなく、野手の力も必要ですからね。オリックスは野手はシッカリしていると思いますんで。



最小限の力で
最大限の結果を出す


−また、話しは戻るんやけど、具体的に社会人野球でレベルアップした部分っていうのは?

光原 そうですねぇ。やっぱり、大学と社会人ではレベルの差がある。大学の時は力で抑え込んでやろうというところでどうにかなった部分もありましたけど、社会人では簡単にそうも行かない。自分の場合、打者を抑えられる圧倒的なスピードがある訳でも、細かいコントロールがある訳でもない。そこでJR東海では登板機会に恵まれたこともあって、投げて成長することが出来た。手抜きではなく、最小限の力で最大限の結果を出すことが分かるようになって来ましたね。あとは技術、体のコンディション、精神的なところのバランス。とても感覚的なものなんですけど擦り合わせて行く力は付きましたね。

−大学時代、「スピードガンとは勝負しない」ということも言っていたけど、その辺は現在も変わっていないんやね。

光原 頑張っても140`台中盤しか出えへんというコンプレックスもあるんですけどね(笑)。まぁ、体が小さくて、スピードボールがなくても抑えることが出来るのがピッチングの面白いところ。

−それが都市対抗(×NTT西日本)でも出てていたんやね。

光原 実はあまり調子が良いということもなかったんですよ。組み合わせが決まった時もそうですし、試合の2日前くらいにはビデオも観ているし、会社から応援が何人くらい来るという情報も入っていて嫌やなぁと(苦笑)。調整にも入っているので、練習時間も長くないから、考える時間も増える。ホテル暮らしで普段と生活リズムも違うし、遊びにも行けない(笑)。でも、アップの時に相手を見て(都市対抗は第1試合目以外は東京ドームの駐車場で一緒にウォーミングアップをする)、余裕もありそうやけど隙もあるなと感じたんです。どうにかなりそうやなと。それでハマったところはありましたね。

−完封(9回二死からツーラン本塁打を浴び、完封は逃した)は相当、意識したでしょう。

光原 そりゃ、バリバリしてましたよ。でも、自分らしいと言うか(苦笑)。まぁ、最後に勝ちゃ良いんで(笑)。

−そうそう、光原君はヒットをどんなに打たれても、走者を出しても負けない粘り強いピッチャーやから。

光原 でも、社会人になって良いピッチングをする時は走者をあまり出さなくなったんですよね。

−その辺も成長の証しなんやね。


交流戦を楽しみにして貰いたい
野球教室とかも積極的にやって行きたい


−05年からプロ野球もセ・リーグとパ・リーグの交流戦がある。大学時代に投げ合った杉山君との勝負もあるかも知れない。

光原 是非、投げ合いたい。交流戦がスゴイ楽しみです。

−絶対に負けないという気持ち?

光原 まぁ、そうですけど、最後に少しの差で勝てれば良いです。それよりもお互いに良いピッチングをして、レベルアップしたいですね。それと光原と杉山は大学時代も投げ合っていたんだ。そして、プロでも投げ合っているんだとファンにも楽しみにして貰いたい。

−それは絶対に僕も観たい。他にプロでの具体的な目標とか数字は?

光原 数字的なところもありますけど、とにかく即戦力として期待されている訳ですから、1軍でキッチリと。1年間、良い状態でということが大事。あと、チーム事情もあるでしょうけど、頭(先発)で放りたいです。

−ファンにアピールするところは?

光原 野球を楽しんでいるところを観て欲しいです。野球は厳しいところもあるけれど、やっぱり、楽しんでプレーすることが原点やと思うんです。

−うんうん。

光原 実績を残して、名前と顔を少しでも覚えて貰う。そして、オフには野球教室とかも積極的にやって行きたい。オリックスは吸収合併とかもあって、少しファン離れが心配されています。だけど、野球が楽しいことを伝えて行きたい。

−それは絶対にやって下さい。今後のさらなる活躍に期待。これからもズーッと応援しています。

光原 はい、頑張ります!

〔編集後記〕

光原は非常に真面目で礼儀正しい。
そして、考え方もシッカリしている選手であることは言うまでもないが。
オチャメでヤンチャな一面もあり、面白い男なのだ。
だから、良き仲間にも恵まれる。
また、スポーツ選手に必要不可欠なハングリー精神も持っている。
これまでの野球人生も決して順風満帆ではなかったが腐ることなく。
そして、現状に満足することなく、成長して来た。
今後もそのスタイルは変わらないだろう。
野球選手としては勿論、一人の人間としても魅力的なのだ。

光原はプロ野球という世界でもきっと伸びる。
僕はそう確信している。